第1回:wheel of life 〜時空間的タイリングについて考えるの巻〜
 


このページではタイリング問題について考える.タイリングとは平面空間を図形で隙間無く埋め尽くすことである.Escherといえば左のようなトカゲや鳥,魚などで埋め尽くされた絵を思い浮かべる方も多いだろう.
正則分割を用いていくつかの限られたモチーフで空間を埋め尽くす手法はEscherによって徹底的に研究されている.
ある日,私はこのタイリングを趣味とされているK先生から,もっと本質的なブレイクスルーというか,とにかくいままでにないようなのを考えてくれという極めてアバウトかつ難しい指令を受けることになる・・・.
プロの閑人としては,このようなお金にならない事に対しての挑戦を惜しんではいけない!ということでやってみました.

     


とは言っても,平面に関する研究はEscherやその後の人々によってほとんどやりつくされてしまっていると言ってよい.かといって三次元に拡張して立体物によるパッキングをおこなっても,現実的問題には役立ってもアートとしては認知不可能なものになってしまう.
そうなってくると今度は時間軸へ拡張する方法を考えることになる.すなわちアニメーションである.Escher自身も平面上の作品で擬似的なアニメーションをすでに実現しているし,その後の人々もなにかにつけてそのような作品を作っていたような記憶がある.結局これ自体も目新しいものではないのだが,やりようによってはもう少し体系的に扱うことが可能ではないかと考えた.

まず個々のモチーフが移動あるいは形を変化させながら,なおかつ画面全体が隙間無くタイリングされている場合を考えた.これは不可能ではないが想像するだけで面倒であり,すぐに眠たくなってしまった.

次に個々のモチーフがなるべく形を変えることなく移動する場合を考える.この時,常に画面が隙間無く埋め尽くされている必要は無いこととする.移動が周期的なものであれば,画面が隙間無くタイリングされる瞬間も周期的に発生すると考えられる.ではこのような現象を可能とする周期的動作にはどのようなものがあるだろうか?下図は代表的な操作の例である.すべり鏡映については物体の反転操作を伴うため,この間をつなぐアニメーションを作成する必要があるだろう.また,これら以外にも曲線的な移動やいくつかの操作の組み合わせなどが考えられる.

       

正則分割によるタイリングの技法はEscherやK先生によっていくつかのシステムによってイメージが構成可能であることが示されている.このことからそれぞれのシステムに適合した移動操作の分類が可能ではなかろうかと推測している.ただし,あまり意味は無さそうなのでやっていない.むしろ個々のモチーフの内容自体に影響を強く受けるものかもしれない.

ごたくはこれくらいにして,では実際にどうなるのかやってみよう.Escherのトカゲ(ESCHER NO.118[トカゲ] バールン IV-'63)を参考にアニメーションを作ってみた.ページの最初に示したような四匹のトカゲによるタイリングである.実際には円をなして連なる四匹のトカゲは同じ色で一セットになる.このトカゲリングは左回りに90度回転させることにより元の図形と同じ形に変換されることがわかる.つまりすべてのトカゲリングを同時に回転させることにより90度ごとに隙間無くタイリングされるのである.

回転蜥蜴 その一(等速度)

上記の例では四色のトカゲリングは全て同じ速度で回転している.回転速度を変えることにより,タイリングされる周期や画面変化の具合を変化させることが可能である.

回転蜥蜴 その二(灰色と緑色の回転速度が1/2)

回転蜥蜴 その三(灰色と赤色の回転速度が1/2)

このように同じメソッドでも時間軸ついての変数を変えることにより出来上がりを変化させることが可能だ(ビミョーだけれど).「その二」の例では,周期の速い赤トカゲと橙トカゲによって部分的なタイリングが発生しているのが見て取れる.また,アニメーションの途中で現れる空隙は具象的なモチーフに対して正方形などの幾何的なフォルムをしているのも発見である.

以上の実験結果より,単純な並進によるアニメーションでも個々の速度を変えることによって結構面白いものができると思われる.また,移動の軌道や速度をむちゃくちゃにしてみるとさらに面白いかもしれない.時空間的に局所的なタイリングが発生して,秩序と無秩序のはざまが楽しめるだろう.

結論
タイリングの新たな展開という意味では,いま一つといったところである.
しかし私だけかもしれないが,このようにして作った映像をぼーっと眺めているとわりとキモチイイことに気付く.特にBGMとテンポが合うといつまでも魅入ってしまう恐れがある.オリジナルモチーフでキッチリ作ればVJに使えそうである.

記:2003年3月26日